日本国際ツーリズム殿堂とは 「殿堂入り」への道程 「殿堂入り」した方々 国際ツーリズムの歩み  
   
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1964〜  1970〜  1980〜  1990〜  2000〜
 

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1970〜
観光局オリエンテッドの時代
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1980年代前半は第二次オイルショックの余波を受け景気が低迷、
80年の海外旅行者数は自由化後初のマイナス成長を記録する。
米国ではデレグの嵐が吹き荒れ、その波は太平洋線にも波及し、
85年にはパンアメリカン航空が太平洋線から撤退、
日本では全日空の国際線進出、日本航空の国内幹線参入が実現した。
一方、70年代に導入されたGIT運賃はモノ・デスティネーション型の
ツアー開発に威力を発揮、東南アジア各地やオーストラリア、
南太平洋地域のデスティネーション開発・競争がくりひろげられた。
1980年代は観光局というプロモーターの時代でもあった。
運輸省は87年、海外旅行倍増計画「テンミリオン計画」を打ち上げた。
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▲大量輸送の70年代から高速輸送の80年代へ。
SST(コンコルド)が登場してパッケージツアーにも組み
込まれる。写真は日本旅行のお正月ツアーの一行(85年)
天皇ご訪米、米建国200年祭など70〜80年代は
米国旅行ブームに。原動力になったのが旅行会社
首脳による視察旅行。スーツで出発が鉄則だった
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強力なエンジン開発によってB747SP型機が
完成。東京/ニューヨークのノンストップ飛行
が可能になった(ノースウエスト航空)
国際交流を目的とした海外修学旅行が
80年代から活発化した。私立高校では
「海外修学旅行」が生徒募集の目玉に
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海外旅行の急成長の陰では根強いインバウン
ド・プロモーションも行われていた。日本食
や古典的なフジヤマ・ゲイシャのアピールも
観光局中心のプロモーションが奏効し、
オーストラリアへの日本人旅行者数は10年で
10倍規模に急成長した。オーストラリア政府
観光局によるロードショーバスも走った(83年)
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戦後いち早く米国文化を運んできた「空の盟主
パンナム」。航空旅行業界の発展に貢献した
が、米国の規制緩和の波に飲まれて86年に
太平洋線から撤退した
   
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