日本国際ツーリズム殿堂とは 「殿堂入り」への道程 「殿堂入り」した方々 国際ツーリズムの歩み  
   
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1964〜  1970〜  1980〜  1990〜  2000〜
 

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1970〜
ホールセラー・オリエンテッドの時代
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海外観光旅行の自由化からジャンボジェットを迎える
7年間は大量販売への助走期間だったともいえる。
この間、航空会社も、ホテルも、旅行業者もめまぐるしい自由化の波に洗われた。
70年3月11日のパンアメリカン航空のジャンボ就航(羽田)に前後して、
数々のホールセールブランドが立ち上がり、
ホールセラーを核とする商品流通機構がほぼ固まった。
71年には「旅行あっ旋業法」が「旅行業法」に改定され、
法制上でも旅行メーカーとしての責務が明確化された。
海外旅行が一大ムーブメントになった。
70年に66万人だった海外渡航者は79年には400万人の大台を突破する。
格安航空券専門店が“必要悪”として現れ、流通の二重構造を形成、
利益率の低下は拡大再生産でカバーできた時代だった。
写真1
▲79年2月には「ルック」が100万人目の旅客を達成。
「カリフォルニア・パーソナル」(PA利用) の参加者
から100万人目が選ばれ祝福
写真2
霞ヶ浦、浦安沖… 建設候補地が転々とした
新空港は66年、成田三里塚で決着。67年に
着工、72年に旅客ターミナルが姿を現した
全日空は71年2月21日、不定期チャーター便で
待望の国際線進出。B727型機で羽田から香港へ。
近畿日本ツーリストが中心になってセールスした
写真3
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78年、自由行動を主体とした若者向けに
「ZERO」(旅行開発) が登場。FIT商品の
先駆けとなる
大量送客時代を迎え活気付く旅行業界。
77年11月には第一回日本国際観光会議が
開催、将来を見据えた議論が交わされた
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70年に開催された大阪万博会場。
米国は観光館を設営してPRに努め
大勢の人々が訪れた
ジャンボジェット就航を控えて日本航空が一大
キャンペーン。数奇屋橋のソニースクエアには
大型模型が出現(70年)
写真7
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急成長する海外旅行ビジネスにデパートも
参戦。ヨーロッパ旅行やハワイ旅行の広告幕が
消費者を引きつけた(71年頃の東京・銀座)
「空の二眼レフ」として羽田とならび玄関口と
なった大阪国際空港(伊丹)。71年にはMAS
(マレーシア・シンガポール空港) も乗り入れ
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